目の前に広がるは、水墨画の世界 - 陽朔・中国 2004

  - 広西チワン族自治区・陽朔

 朝、目が覚めると水墨画の世界に居た - 福建省の厦門(アモイ)から陽朔(ヤンシュオ)までは長距離の深夜バスを利用した。中国の深夜バスは驚いた事に車内にベッドが設置されており、夜は完全に体を横にして眠る事ができた。2段ベッドが3列ずつ、ずらっと奥まで並んでおり、コンパクトではあるがなかなか快適に旅ができた。

 私のベッドは1番前の窓側上段であった。深夜にも関わらず幾人も乗客が乗り込んできて、お構いなしに皆大声で話をするもんだから、何だかよく寝れたような寝れてないような状態で朝を迎え、うつらうつらとした状態で外を眺めて驚いた - こんもりとした山々がいくつも連なり、いきなり自分が水墨画の世界に放り込まれたようであった。

 バスは厦門を出発してから丁度24時間後の10時AM、陽朔のバスターミナルに到着した。陽朔の町はとてもコンパクトで町の中心には石畳で出来たメインストリートが1本通りその両サイドに小洒落たカフェやお店が立ち並んでるといった風情だ - ここは観光客が多いせいもあったり、ヨーロッパ人はこの山々をクライミングするらしく多くの外国人が訪れているせいもあってか - 驚いた事に宿やお店では英語でコミュニケーションを取る事ができた。中国に入ってからこれ程英語が通じた町は初めてである。

 そのせいもあってか、お店はどこも洗練されていて、古き良き中国の良さが上手い事モダンになった感じ、そう、中国が近代化するにあたり社会主義国家を歩まずに資本主義国家の道を歩んでいたら、こんな感じになっていたのではないか、と思わせるような雰囲気が町には漂っていた。(あくまでも私見ですが。)

 この町には一足先に上海の宿、浦江(プージャン)飯店で知り合ったWorldtomoくんと言う日本人が来ていた(彼のメールアドレスはその当時Worldtomoで、彼も長く旅を続け、アジア、東欧を抜けアフリカ大陸を縦断して喜望峰まで到達した旅人だ)。陽朔に到着後、ネットカフェでメールをチェックしてみると、翌日の夕方6時にハードロックカフェの前で待ち合わせよう、という旨の連絡が彼から入っていた。時間になり、待ち合わせ場所に行ってみると一緒に韓国人のチャンと呼ばれる男性と台湾人の旅人も一緒だった。 - 因みに私は韓国人のチャンとは意気投合し、この後ベトナム中部の町、ホイアンまで約1ヶ月程一緒に旅する事になった。 - この日を境にWorldtomoくんとチャン、そして私が宿で知り合ったコリアンガール2人と共に行動を取る事となった。

 陽朔には漓江と呼ばれる川が流れており、川下りをしながら景観を楽しむと言う観光が一般的だった。が、川下り観光は料金が高い為、うちらは自転車を借りて陽朔近郊を巡る事にした。自転車は1日借りて何とたったの5元(75円)だった。

 川下りだと船頭さんの赴くまま、というか、集団でみなで固まって移動しなくてはならないが自転車だと好きな時、好きなところで立ち止まって景観を楽しむ事ができる。

 漓江周辺は勿論の事、蝴蝶泉景区と呼ばれる巨大な蝶々のオブジェが止まっている山や、穴の空いた感じが月に見える為そう呼ばれているのか月亮山と呼ばれる岩山などを巡ったりした。

 中国だけに限らないが観光地化されていない町を旅すると自然と現地の人とのコミュニケーションが増え、思いがけない出会いや出来事があったりするものである。片や観光地化された町に行くと当然ながら、現地の人との接触は自然と減ってしまい、そこで出会った旅行者とのコミュニケーションが多くなる。
 どちらが好きかと問われるとやはり私は前者の方に面白みを感じるけれど、たまにはここ陽朔で他の旅行者 -韓国人や台湾人 -と過ごした日々も忘れがたい素敵な旅となった。

 昼間みなで自転車を借りて1日中陽朔の北部の方を回り、陽朔の町に戻ってきてから、夕食を取った後にビールを買って河原へ行った。お互いみな片言で相手の国の言葉、そして英語でコミュニケーションを取りながら、とりとめのない事を話して笑い - 実際どんな事を話していたのか今となっては残念ながらさっぱり思い出す事は出来ないのだけれど - 兎に角楽しく、そしてその日は陽朔の山々の向こうにぽっかりと満月が出ていた事だけは今でもはっきりと覚えている。

 

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