叔父からの長崎風景便り、そして長崎で食したうまかもんいろいろ

 大阪に住む叔父さんから便りが来た。小さい頃は長崎でよく会っていたのだが、私が高校生頃になるとお盆や正月に親戚で集う、と言う事もめっきり減ってしまい、いわゆる大人になってからと言うもの会う機会が殆ど無くなりつつあったのだが、ここ数年叔父さんは毎年お盆の季節に長崎に帰省してくれるようになり、近頃は年に1回は会って話す時間も増えてきて、叔父さんの幼少期の長崎での話などを聞く機会も増えてきた。

 叔父さんは昔から写真を撮ったり絵を描いたりと、やはりどちらかと言うと私が大人になってからの方が興味の対象が合うとでも言うか、色々と聞きたい事もあったりで最近は沢山の話を聞ける事ができ、これはこれで私が写真を撮ったりする時など、制作の糧にもなっているような気がする。

 - そんな叔父さんから幾つかの作品を同封した手紙が届いた - そこにはこれまで叔父さんが表紙を描いた冊子やポストカードなどが同封されていた。 - この夏に話した折に今まで描いた作品の幾つかを見てみたいと私がおねだりしたところ、有り難い事に幾つか送って来てくれたと言う訳だ。

 今回送ってくれたのは叔父さんが嘗て通っていた彼の母校(長崎西高)の同窓会関西支部の冊子の表紙を描いたものが多数で、そのどれにも長崎の素敵な情景が描かれていた。中には母校から依頼されて描いたと言うポストカードもあったりと、叔父さんの絵を通して眺める長崎の風景と言うのもいいものでもあり、そこにはもう今では見られなくなってしまった風景などもあったりで、昔の長崎の情景なども知る事ができた。

 因みに私は西ではなく東高と言う高校に通っていたので、西高の事は良く知らないのだが、表紙に書かれている”自律”と言う言葉が西高を表す何かのキーワードなのかもしれない、なんて事を思ってみたり。

世界の船の集い来てー©艶島久男
昭和47年頃の大浦天主堂東側の坂の上よりー©艶島久男
©艶島久男

 さて、話しは今回の帰省時に頂いた長崎の食べものの話に移り、長崎はやはり美味しいもん沢山であった。これも大人になって知ると味とでも言おうか、長崎は何を食べてもやはり美味しい豊かな土地である。

 刺身は当然、すり身揚げなんて巷で取り上げられたり、特に長崎名物と世の中的に謳っている訳でもないと思うのだが、長崎のすり身揚げはとても美味しく、この辺りさり気なく普段から美味しいものを食せるのは、やはり何と言おうかさすが、である。
 あとは、うちのお墓が諫早市の近くにある関係もあり、諫早と言えばのウナギであり、こちらも美味しく頂いてきました。

 ところで、先日、長崎学で有名な郷土史家の越中哲也さんがお亡くなりになられた。御年99歳であった。越中さんと言えば私が高校時代の体育祭でうちらのクラスの出し物の中で友人の1人が越中さんに扮して登場したりと、とても我々に馴染みがあり、長崎の人々に愛された方であった。越中さんの優しい口調で語られる長崎の歴史はとても面白く、10数年前に長崎のお祭りー長崎くんち - を越中さんの語りで生で見た事があるのだが、おくんちの歴史や、出し物についての説明など歴史や時代背景の事を交えてお話してくれて、益々長崎くんちの素晴らしさを知る事となった。

 毎年、精霊流しのTV解説の時には「来年は私が精霊船に乗せてもらう番です」と巧妙な口調で話されていた、あの語り口をもう聞けないと思うのは残念であるけど、99歳と言う年齢を考えると仕方がない事ではあるが、とても寂しい。そして来年は遂にと言うか、本当に越中さんの船が流され、長崎中のみんなが越中さんに感謝し盛大に船を送り出す夏になるでしょう。

 再び、長崎で食した話に戻って・・・

 やはり、刺身は毎日の様に食べ(折角なので刺身には長崎の地酒、六十餘洲 なんかと合わせるといいかもしれない)、珍しいものではクジラなんかも割りとどこでも食べる事もでき、クジラの部位というか種類としては、赤身、ベーコンなどあるけど、私は割りとクジラのさえずり(クジラの舌ですね)が好きだったり。

 そしてあとは、やっぱりちゃんぽんは長崎を訪れた際にはぜひ食べてもらいたい一品で、他にも色々と美味しいものを紹介したいのですが、今回はひとまずこんな感じにしておき、又の機会にでも色々と紹介できたらと思います。

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