大原、勝林院の紅葉

 盤垣(ばんかん)去りがたしの宝泉院を後にし、次に向かったのはお隣の勝林院 - 恥ずかしながらこちらのお寺は全く知らなかったのだが、宝泉院のいわゆる本堂という事で、観光客はみな宝泉院は行くけど、こちらにはあまり立ち寄っていない感じで、それはそれで勿体無いとも思うのだが、逆に人が少なくのんびりと過ごせました。

 勝林院の入り口に流れる小さい川(三途の川)を来迎橋より渡ればそこより内側は極楽上の世界だ。真っ直ぐに伸びる1本道を進むと両側に菩提樹を構える本堂 - 通称阿弥陀堂に行き渡る。その名の通りこちらのご本尊さまは阿弥陀如来だ。

 因みに阿弥陀如来や阿弥陀観音、呼び方が色々とあるとお思いかもしれないけど両者にははっきりとした違いがある。 - ざっくり言うと「如来」は悟りを開いたもの、「観音」はまだ修行中という具合である。なので、如来と名が付く仏様は坐像が多く、修行中の身である観音様は立像という事になる。この辺りの事を頭に入れて仏様を見てみると意外と面白いかもしれない。

 こちらの勝林院、実は声明(しょうみょう)の聖地らしい。 - 声明とは沢山のお坊さんによって唱えられる仏教の儀式音楽のようなもので、私はチベットの寺院でこの声明を耳にした。沢山のお坊さんが奏でる歌声のような念仏のような声明は聞いていて実に心地よく、チベット寺院を訪れて、たまたま声明の時間に出くわすとラッキーとばかりにその場に座って聞き込んで暫く陶然としたものだ - その声明がインドからチベット、中国経由で伝わりここ勝林院から系統的な声明が始まったという事でした。

 境内には生演奏ならぬ生声明はなかったが、ボタンを押すと声明が流れる仕組みになっていた。機械的なのも悪くなかったがボタン1回の声明がそれ程長くないのと(感覚的には1,2分ほど?)、1回終わるとまた誰かが押しての繰り返しになるのだが、何度も聞いていると同じようなリズムで流れてくるのがちょっと残念だった。やはり声明は生声明に限る、と思うが、まぁ何もないよりは断然良かったのでこの声明もそれはそれでありがたいものだった。

 本堂を後にし境内の右手にある西勝林院跡地へ - ここには見事に誰もおらずしかもちょっとした休憩スペースのようなものもあり、しばしこちらで休息の時間 - 紅葉のコントラスト、そしてちょっと遠めに本堂が見える。

 本当にここはいい空間だった。休みの日にたまにこんなところに来てのんびりするような生活が出来たら何といいだろう、そんな事を思ったり。

 しばし、ここの休憩所でたそがれていると誰かがまたボタンを押したのか、本堂の方からかすかに声明が聞こえてきた。

 宝泉院と勝林院、どちらも満喫しそろそろ去り時だ。ありがたい気持ちで両院を後にすると時間も正午に近くなり、人通りもどっと増えていた。

Leave A Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA