洛陽・中国 2003

古都の誇り(のようなもの)-河南省・洛陽

 12月3日 大同発、洛陽行きの列車は21時50分発だ。駅の待合場は意外と沢山の人でごった返しており、ほっぺを赤くした女の子が大声で弁当を売っている。何を言っているのか全く分からなかったが恐らくメニューを読み上げているのか、澄み切ったその声が広い駅の待合場にずっと響いていた。-中国ではこのように働いてる女性がとても元気で、その懸命な姿や張上げた声を聞いているだけで実に微笑ましくなってくる。

 今回の切符は「硬臥」、つまり2等寝台車だ。中国の切符には1等と2等があり、1等が「軟」、2等が「硬」となっており、それぞれに「臥」(寝台)と「座」(座席)があり、勿論購入時に指定する事になる。「硬」-と言っても本当に硬い訳ではなく、まぁ日本で言うところの普通席、普通寝台と言う感じであろうか。因みに中国の列車には何度も乗っているが1度として「軟」に乗ったことがないので、「軟」がどれほど快適なものなのかは不明である。。

 洛陽までは18時間の列車の旅である。翌朝は9時半に目が覚めた。寝台車両は3段ベッドになっており、今回は「中」(真ん中)のベッドであった。南下しているので少しは暖かくなるかとも思ったが起きてからは、ずっと雪が降っている。洛陽はどれ程の寒さなのであろうか。

 15時50分、ようやく洛陽に到着した。列車から降りようとしたら、あれ?扉が開かない。。と思っていたところ、私と同じコンパートメントの「下」(下段)のベッドに居た若いにぃちゃんが、「ここは開かないからあっちから降りたがいいよ」みたいな事をわざわざ教えに来てくれた。道中同じコンパートメントだったけど、1度も言葉を交わす事もなく、ちょっとぶっきらぼうな人だな、と思っていたのだが、何だ、とても親切な人ではないか。

 今回も宿は直ぐに見つかった。駅前の道路を挟んだ駅の真正面の宿である。これまた大同と同じく4人の相部屋であったが、今回も2泊中、私以外他に旅行者は現れなかった。今回はこれまでで最安の1泊たったの15元(225円)であった。
 
 チェックイン時にフロントに少林寺ツアーなるものがあり、思わず申し込んでしまった。値段にして交通費込みで120元(1800円)ほど。思わず申し込んでしまったが個人で行く方法がないか確認してから申し込めば良かった。。しかし、もう申し込んでしまったし、少林寺以外にも行くみたいなので、よしとしよう。

 -翌朝8時、定刻通り中型のワゴンバスでのツアーが始まった。添乗員はちょびひげを生やした稲川淳二風の男性で(以下稲川さん)、なにやら出発してからというものマイク片手にずっと喋っている。そんな中数少ない私が聞き取れる中国語「リーベンレン(日本人)」という単語が発せられると同時に乗客全員が私の方を振り向いた。-が、別にそれは敵意に満ちたものでなく、どちらかという好奇や親しみを持った眼差しであった。

 暫く走るとバスがどこかに止まった。-入り口の石碑に「玄奘故里」と書いてある。「玄奘って何か聞いた事あるが誰だっけな」と思いながら、ぶらぶら歩いていたら、稲川さんが私だけにEnglishパンフレットを走って持ってきてくれた。(何とも親切な方である。)
そこに描かれていた画を見て、「あ、玄奘とは三蔵法師の事か、。」と今更ながらに気付いた。どうやらここは玄奘こと三蔵法師の故里で昔住んでいた家などがある場所らしい。

 バスは更に国道207号線を東に走り、山を登り嵩山(すうざん)というエリアに入った。そこでまずは永泰寺を見学しその後、いよいよ少林寺へ。カンフーの修行はこのお寺では見る事はできなかったが、近くにある体育館のような施設にツアー客みなで移動し、小さい修行僧の子供達によるカンフーの演舞を見る事ができた。

 その後、少林寺周辺で食事をしたり、ぶらぶらと写真を撮ったり-で、最近日本でも中国人の観光客が増えてきたので目にした事がある人も多いと思うが中国の方は観光名所の前で何らかのポーズを取って写真を撮るのが大好きな人達である。なので、私がひたすら1人で風景写真ばかり撮っていると、同じツアーの人に「お前のカメラで撮ってあげるから、お前も風景と一緒に写ったらどうだ。」みたいな事を何度も言われた。その度に笑いながら、「いや、私は風景だけを撮るのが好きだから」みたいな感じで断っていたのだが、今思えば1枚くらい、自分も入った写真を撮っておいてもらっても良かったかもしれない。。

 ツアーはざっとこんな感じであった。帰りのバスの中ではジェット・リー主演の映画「少林寺」を流してくれるというサービスもあり、地元のツアーというのがどんなものであるかも知れ、また沢山の人とも交流でき、結果とてもいいツアーだった。

 翌日は関林廟-そう、ここには横浜なんかにもある関帝廟の本家本元、関林廟(三国志の英雄、関羽のお墓)がある。三国志はとても長い物語であるが私は昔アメリカに長く居た頃に何故かずっと毎日三国志を読んでいて、今思えばあの頃読んでおいて良かった。
 しかし、物語でしか知らなかった関羽のお墓に今自分がやって来たと思うと感慨深い。そして、この関林廟は関林鎮という洛陽から7キロほど離れた町にあるのだが、町の名前に関羽の名前が使われているとは、彼の死後1800年は経っているであろうが、今も彼はこの町の中で人々と共に生き続けているのだなぁと思わせてくれた。

  柏の木々が生い茂り、時折、鳥の声が聞こえて来ると言ったとても静かな場所であった。(ここからカラーフィルムにチェンジ)

 最後は関林から更に足を延ばし龍門石窟へ。ここも先日、大同で訪れた雲岡石窟同様、中国三大石窟の1つである。

 龍門石窟は黄河の支流伊水河に沿って、約1キロ程連なっている石窟郡であり、岩を掘り起こし完成までに何と!400年の歳月を費やしたという。

 あまりの規模の大きさに一目見たその瞬間から心を奪われてしまった私であるが、周りを見渡すとそんな事もお構い無しに地元の人達が普段と変わらぬ日常を営んでいる。子供達は川で水遊びをし、下流の方では奥様方が何と洗濯をしていたり、中には釣りに興じている男性の姿を見掛けたりもする。

 それにしてもこの光景を前にのんびり一日中釣りをする気分とは一体どのようなものなのであろうか。少し羨ましい。
 彼等にとっては余りにも日常となり過ぎたこの光景を目の当たりにすると400年という歳月もちっぽけなもので、淡々とその日一日一日を過ごしているかのようでもある。

 洛陽は私が訪れた事がある他の古都-西安や北京-のように古都然としていないというか、西安や北京が「ここは古都なんだぜ。」と言っているようなところがない。町はあくまでも、どこにでもあるような中国の一地方都市のような態(なり)をしている。
 が、町を歩いてみるとやはり、町自体と言うか、根底には古き良き何かを持った中国の誇りがあるような町であった。

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