ベトナムビザ問題、事の顛末・・・ - ホイアン2・ベトナム 2004

 -クアンナム省・ホイアン

 日本人のベトナムへの入国は2004年よりビザ免除により15日間はビザなしで滞在できるようになった。
 そんな折、丁度のタイミングで2004年1月にベトナム北部に入国してから早10日ばかり過ぎ、滞在期間の延長をすべくホイアンから隣町のダナンに赴きイミグレーションやら旅行代理店を散々たらい回しされた挙句、ようやく1つの旅行代理店が申請を受け付けてくれ、私とダナンまで付いて来てくれた韓国人のチャンは無事、ホイアンに帰りついた。

 ここまでが前回のお話で、詳しくはこちらに書いているので忘れた方は良かったら再読を。

 ダナンに出掛けて2日後の朝、宿の人が私のパスポートがダナンの旅行代理店から戻ってきていると言う。確か、申請後5日後にパスポートを送ると言っていたのにやけに早いな、と思っているとそこには滞在延長が却下された旨を知らせる「キャンセル」の赤い文字が。 - 一旦は滞在日時を書き込むだけの青いスタンプが押されていたようであるが、その上からキャンセルのスタンプが。。どうやら土壇場になってやはり滞在延長の申請は却下されたようである。

 今回の旅で私は1度だけビザを延長している。それは中国の杭州での事であったが、考えてみれば、元々日本で中国ビザを取得していたので、それの延長であって、今回はビザそのものがない状態での延長でもあるので、延長の対象にならなかったのかもしれない。

 しかし、私はベトナムの国土の広さを考え15日間で抜けるのは日程的に厳しいと思い、中国の昆明でベトナム大使館に足を運び、正式にビザを申請しようとしたのである。その時そこでは、「2004年から日本人はビザが免除されたのでもし15日以上滞在したければ、現地(ベトナムの事)で滞在延長をすればいい」というような事を言われビザを申請しなかったのである。とは言え、今更、昆明に戻って、「あなたの言ってた事は間違いでしたよ」なんて言いに行く訳にもいかない。この時期はビザ免除が始まったばかりでもあり、色々と現地も混乱と言うか情報が錯綜していた時期でもあり、ビザなしで入国できてラッキーではあったのだが、結局のところ割を食う形になってしまった。

 とは言え、本日はベトナム滞在丁度15日目、つまりは本日中にこのベトナム滞在問題を解決しなくてはならない。チャンや宿の人と相談しながら、以下2案しかなさそうだ、と言う事が分かった。

 1.このまま滞在切れは無視して、ベトナム南部への旅を続けその後カンボジアに入国するという本来考えていたルートを遂行する。
 2.本日中に第三国に出国し、再び何らかの方法でベトナムに戻り、その後南部を旅してカンボジアへと旅を続ける。

 案1はつまりは不法滞在という事だ。不法滞在となると1日に付き罰金が何ドルか科せられると思うが、幾らなのか誰も知らなかった。それはそうだ、誰もこれまでそんな事した事ないのだから。それにこの後のカンボジアへの入国へはビザが必要であり、ビザを申請する時に不法に滞在している事が分かるとカンボジアへのビザも降りず、下手したら強制送還、、なんて最悪の事態を思い浮かべたりもした。それにそんな不法に滞在していると言う後ろめたい気持ちでこの先ベトナム南部を旅するのはご免でもあり、やはり案2が妥当ではないか、という事になった。

 案2が妥当ではあるが、問題はどこに抜けるか、という事であった。運が悪い事にベトナムに滞在できるのは今日までである。ベトナムと国境を接ししてるのは北は中国、南はカンボジア、そして隣はラオスである。中国はビザが不要であるが今日中に到達できる距離ではない。カンボジアとラオスと言う事になると両国ともビザが必要で(ラオスはこの当時、ビザが必要であった)本日中の入国は無理そうであった。

 そこで浮上したのがバンコク、と言う都市であった。バンコクはビザも不要であり、沢山の観光客を迎え入れている都市でもある。飛行機に乗る必要があるが宿の人曰く、ホイアンからもベトナム航空が飛んでいると言う事であった。早速値段を調べてもらうと272ドルであった。日本円で言うと3万円程である。

 これまで日本から韓国、そして中国へ船を使い、その後も陸路に拘ってこれまで3ヶ月ほど旅を続けてきた。そこで今更飛行機、と言う思いもあったが、やはり1番妥当な選択でもあるように思えた。バンコクに取り敢えず退避し、その後ラオスを経由し再度ベトナム中部に戻って来る事もできるので、再び思い描いていたルートも再開できる。何だか、サイコロを振って振り出しに - と言う訳でもないけど - 戻ると言う感じでもないが、精神的にもそれで安心して旅ができると思うし、うまく行けばベトナムに戻って来た際に再びチャンに追いついて一緒に旅ができるかもしれない。
 
 色々と試案しバンコクへ飛ぶ事を決断し、早速宿の人にチケット購入の手続きを取って貰った。


 となると、ここからは急展開 - お昼の便なので、急いで荷物をまとめ、何が何だかよく分からぬまま頭の中はちょっと混乱した状態で急ぎチェックアウトし宿の人が呼んでくれたタクシーに乗り込み一路空港へ行く事となった。

 - 中国の陽朔と言う田舎町で出会いこれまで約1ヶ月程一緒に旅をしたチャンとの別れを惜しむ時間もなかった。

 私が乗った白いタクシーが走り出すと、チャンが「こんな事ってあるかよ」と言わんばかりに吸っていたタバコを地面に叩きつけて走って追いかけてきてくれた。その後ろをこれまたハノイで出会い、ここホイアンで再会し同じ宿に泊まっていたソップという韓国人も走って追いかけてきてくれた。
 別れを惜しみ追いかけて来てくれる2人の韓国人たち - そこには別に日本人とか韓国人とか何人だからと言うものを超えて単に旅を愛する者同士のちょっとした絆があったように思う。

 タクシーはどんどん速度をあげ、やがて2人は点になり、そのまま見えなくなってしまった。

 
 結論から言うと結局この後私はチャンに追いつく事はできなかった。バンコクに飛んだ後ラオス経由で再びベトナムに戻る事はできたのだが、チャンも私と別れた後、順調にベトナムを南下し、カンボジアへ入りバンコクに到達後、韓国に帰国したという事であった。
 その後、残念ながら彼とは1度も再会していないのだが、メールで連絡は取っていて、ちょっと前に聞いたところによると現在何故かオーストラリアに移住し、そこで元気に暮らしていると言う事である。

 さて、ここから先、空港の事やら飛行機の事など、すっぽりと私の記憶から抜け落ちている。朝から色んな事があり、ちょっとしたパニック状態になっていたのもあるのか、はたまた、ここで飛行機に乗るのは忸怩たる思いがちょっとばかりあったのも事実で記憶から消そうとしているのかは分からないが、この時の事を思い出そうとすると、思い出すのは白いタクシーと追いかけて来てくれたチャン達の姿、そして次のシーンはいきなりドンムアンへと移る。

 ドンムアン - 昔旅をしていた人達には懐かしい響きではないだろうか。嘗てのバンコクの主要な空港と言えばドンムアン空港であった。今は南の方に新しく出来た空港に主要便を奪われ、ドンムアンはLCC発着のメインになりつつあると聞いたが、そう、この頃のバンコクの空港と言えばドンムアンである。

 
 自分でも頭の整理がつかぬままいきなりベトナムからタイにやって来てしまった。空港を1歩外に出るとむっとした熱い(暑いではなく正に熱い)空気に見舞われる。取り敢えずバンコクの情報も殆ど持っていなかったので、安宿が集まっていると言うカオサン通りにシャトルバスで向かう事にした。

 バスは空港から1時間程でカオサン通りへ到着。バスはカオサン通りの北側に停止、降りるとバスの中で知り合った40代後半か50代前半位と思われるオランダ人の女性が、私が初めてバンコクに来た事を知るとちょっとした情報をくれた。我々が立っている左手を指し「ここがカオサン通りで、宿やらカフェ、Barが沢山ある通り」、そして右手を指し、「ここにお寺があって、寺の裏は比較的静かで宿も幾つかあり、こちら側は割りと西洋人旅行者が多いのよ」なんて事を教えてくれた。

 彼女は寺裏の方に向かい、私はひとまずカオサン通りを歩くことにした。この時はガイドブックを持たずに旅していたのだが、カオサン周辺の宿情報を以前出会った旅行者に2つほど貰っていたのでその内の1つに向かった。
 - 教えてくれた宿はカオサンの外れにあり、1階で靴を脱ぐシステムなのか、玄関辺りにやたらと沢山靴が散乱していた。しばらくすると日焼けしたいかにもタイ人という感じの男性が2階から降りて来たので、「部屋はありますか?」と聞くと、無い無いと言う感じで手を振りながら、「今日はもうフルだ」と言う答えが返って来た。 

 仕方がないので、一旦カオサン通りに戻り、通りを歩く事にした。通りは宿やカフェ、Barがずらりと並び、旅行者で溢れかえっている。選択肢が多いと却って決まらないもので、なかなか宿に入って空部屋があるかを尋ねる気になれない。今でこそバンコクは心地の良い場所だと思えるがこの時はこれまで見て来た光景とあまりにも違い過ぎてなかなか初めは好きになれなかった。

 取り敢えずはもう1つ教えてもらっていた宿に向かう事にした。 - こちらは先ほどのオランダ人女性が教えてくれた寺裏に位置し、行ってみると確かにこちらの方が幾分静かで落ち着いた雰囲気がある。宿がずらっと並んでいるのだが、どこも同じような造りで、1階はオープンテラス風のカフェというかレストランになっており、奥の方に取って付けたようなレセプションがあり、宿泊スペースは2階から上のようである。

 ひとまず教えてもらっていた宿を無事発見し、中に入って空室状況を聞いたが、こちらもやはりフルだと言うではないか。夕方近くになっているとは言え、訪れた時期がハイシーズンなのかは分からなかったが、なかなか簡単に部屋が見つからないものである。仕方がないので、その隣にあった似たタイプの宿に入り - と言うかカフェに入って奥のレセプションに向かおうとしたら先ほどのオランダ人女性が席に座ってジュースか何か飲んでいた。

 彼女も私を見つけると「その感じだとまだ宿を見つけてないようね。実は明日タイの南の島でフルムーンパーティがあって、今日は沢山バンコクに人が来ているみたいね」と言う事を教えてくれた。聞くと彼女も今日だけ1泊し、明日には南の島に向かうと言う。
 更に彼女は「幾つか宿を回ったけどこの周辺はどこもフルでダメ。ここの宿はシングルはフルだったけど、ツーベッドタイプの部屋なら空いているので良かったらシェアしない?」と相談してきた。「明日の朝には多くが南の島に向かい、そしたらあなたはシングルに移ればいいわ」なんて更に付け加え、私としても特に異論はなく - と言うよりも朝から色んな事が起こりすぎて(何といっても数時間前まではベトナムに居たのだ)、兎に角、頭も心も疲れており、これ以上宿探しで歩き回りたくもなかったので、その日は彼女と部屋をシェアする事にした。

 翌朝、彼女は南の島に向かい、私も無事シングルルームに移る事が出来た。そう、そして今後幾度となくバンコクを訪れる事になるのだが、私の常宿となったのが、この宿 - MerryVである。


 昼近く早速ラオスのビザを申請すべく幾つかの旅行代理店を周り、無事申請も完了し、バスのチケットも購入してきた。そうなるともうバンコクではやる事もないように思え一旦、MerryVに戻り、1階のカフェでタイビールを飲む事にした。何と言ってもとても暑い日でもあり、なんだかビールでも飲まないとやってられないような日でもあり気分でもあった。

 席に着いた時は気付かなかったのだが、どうやら私の隣のテーブルには東洋人らしき男性が座っており、カリカリと何か書き物をしている。特に覗き見るつもりもなかったのだが、ふと目に入った文字は日本語であった。 - 話掛けるとやはり日本の方で、彼は旅に出てもう7ヶ月経っているというではないか。そして、彼も数日後にラオスに行くとの事で、その予定をノートに几帳面に記しているところであった。更に彼が言うには何と今度のラオスへの旅で実にラオスへ行くのは7回目!という話であった。

 
 この数日後、彼とはラオスの首都ビエンチャンで落ち合い、共に南ラオスを旅する事となった。 - そう、これが私に南ラオスの素晴らしさを教えてくれた○山さんとの出会いであった。

 あのままベトナムを旅していたらきっとラオスにも、勿論、南ラオスの事なんて知らずに旅をしていたと思うと人生とは、旅とは実に不思議である。

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