硬座35時間の列車旅- 西安 ~ 昆明・中国 2005

 西安からは南下し前回の旅でも訪れた昆明を目指す予定であるが、列車だと2泊は必要の為、中間地点にあたる成都に一旦行く事にした。西安駅の切符売り場へ行くと駅舎の外までずらりと長い列だ。

 30分近く待ってようやく窓口に到達、そして用意していた(成都行きの切符を下さいと書かれた)メモを販売員に渡すと、つれなく「没有(メイヨウ)」(無い)の返事が返ってきた。これまで周りからよく、中国の駅の窓口で切符を買い求める際、「没有」と言われ、憤慨した、なんて話を聞いて来たが、実はこれまで私は1度もそんな経験がなかった。というのも前回は真冬の中国旅で、それ程移動する人民もいなかったのかもしれない。

 「没有」の言葉にすっかり動揺し、違う日程でも尋ねてみたが、いずれの日程も成都までのチケットはしばらく満席らしい。私の後ろにはずらっと人が並んでいた事もありその場を一旦離れ宿に戻り、ルートなどを最思案した。

 ちょっと贅沢になるが、これまで1度も試した事ない1等車両の席があるか聞いてみて、それでも切符が取れないようならもう昆明まで行くことにしよう - そう思い、再び西安駅へ。相変わらずどの窓口も長蛇の列だ。再び並ぶはめになってしまった・・・。

 - 結果、1等車両も昆明までの寝台は取れず(そもそもこの列車にはそんな車両はなかったのかもしれない)、最後苦肉の策で、昆明まで座っていく2等車両(中国では硬座と呼ばれる)を聞くと、それだと席はあるとのこと。
 もう選択の余地もなくこれで行くしかない。西安から昆明までは列車で35時間 - それを寝台でなく、座っていくというのだからこの先どんな旅になるのだろう。

 因みに今回の車内の写真は全てロシア製のトイカメラ・ロモで撮影 - 独自の色合いをお楽しみください。

 列車の出発は夜の23時15分の為、西安で泊まっていた宿を18時まで借り、残りの時間はロビーで時間をやり過ごした。

 いざ列車に乗り込んで分かった事は、硬座と呼ばれる座席タイプの車両は真夜中でも車内の電気が消える事がなかった。寝台車は消灯時間があるのだが、やはりこれだけ人がぎっしりと埋まりそして距離が近いとなると安全面を考慮してか、終日車内の灯りは煌々と灯っているようだ。

 明るくて安全なのはよいのだが、やはり明るいと眠りが浅くなる。ただでさえ横にもなれないのだし。。しかし、通常硬座は3列席の向かい合わせだと思っていたが、私が乗った車両の片側は2人掛けでしかも私の席は1番端だったので、それ程の密集度を感じずに車内で過ごす事ができた。

 列車に乗ってから寝る前に私は本を読んでいた。勿論日本語の本だ。その事に気付いていたのか、翌日隣に座っていた4,50代のおじさんが筆談で私に話し掛けてきた - 中国人はやはり好奇心旺盛で、車内で一緒になった時はよく話し掛けてくる - 内容はというと「あなたは日本人だったのですね」のような事から始まり、昨夜私が読んでいた本でその事が分かったのだという。そして彼曰く「私は日本語というのをあまり聞いたことがないのでよかったらその本を声に出して読んでみてくれませんか?」というような事だった。勿論、音読するのは問題ないのだが、ちょっとばかし恥ずかしい。そして、この時読んでいたのは夢枕獏さんの「陰陽師」だった。

 果たして私は昆明行きの列車で「陰陽師」のある一節を声を出して読む事になったのだが、それをきっかに車内の人達が集まり、あれやこれやと私に質問してくる。中には中国経済はこれから日本経済を凌いで行くだろう、なんて筆談で書く人を現れたり。

 そんなこんなんで車内の旅は楽しいものとなり、おまけに隣に座っていたおじさんがお礼にとカップラーメンやら肉まんなど色々とご馳走してくれた。そう、やっぱり中国人ってのは世話好きな人達なのだ。

 通路を挟んだ隣の席には小学生位の女の子がいた。てっきり両親はどこか別の席に座っていると思っていたが1人旅だった。1人でなぜ西安から昆明まで?そして昆明で何をするのかなど聞きたい事はあったが私の漢文組み立て能力ではうまくコミュニケーションできず結局分からず終いであった。

 この女の子に対して周りの人達の気遣いが丁重で、私の隣に座っていたおじさんも昆明駅に到着してからも、その女の子の到着後の行き先が分かるようなところまでしっかりと案内してあげていた。

 その小さな女の子の向かい側には四川省の大足という巨大な石仏で有名なところで英語の教師をしているという2人組みの女の子達がいた。長旅ともなるとお互いに各人の席を行ったり来たりとするようにもなり、彼女達とも話す機会があった。

 これまでは車内の人達とは筆談で話さなくてはならなかったけれど、さすがは英語の教師という事で英語で会話する事ができたのはありがたかった。彼女等は日本のアニメ、特にスラムダンクが好きで、登場人物達の名前を日本語で書いて欲しいなどとリクエストされそんな会話でも盛り上った(日本語でも中国語表記と同じでは?と思ったりもしたが)。

 
 - かくして、35時間の硬座の旅はどうなる事やらと思っていたが、覚悟していた程大変という事もなく寧ろ楽しめる旅であった。周りの人達に恵まれた、そんな旅であった。以前の記事でも書いたけどやはり中国を知るなら列車旅に限る - と私は思う。

 西安から35時間後の朝10時頃、列車は無事昆明駅に到着した。私にとっては約1年半振り、2度目の昆明だ。列車で隣りに座っていたおじさんとは私が乗る市バスの停留所まで一緒に歩き、彼はベトナムの人たちがよく被るようなノンラーと呼ばれる 三角帽子を被り、雑踏の中へと消えていった。 - その姿は不思議とあれから20年以上経った今でも何故かはっきりと覚えている。