南ラオスに栄えたクメール遺跡 - チャンパーサック、サワンナケート・ラオス 2004

  - ワット・プー・チャンパーサック

 10日間過ごしたメコン河の中洲に浮かぶ島・デット島を後にし久々の陸地 - 南ラオスでは比較的大きなと言うか交通の要所でもあるパクセー - にやってきた。ここからは更に北上し、ラオス中部(と言ってもやや南寄り)の町、サワンナケートへ抜け、再びベトナムに入る予定である。

 いかんせん暫くの間、電気も水道もない島からやって来たせいか、パクセーで久々の文明の利器に触れるにつれ、早くもデット島が懐かしくなっていた。(勿論、今、日本からパクセーに行ったら、もの凄く田舎に感じるなのだろうけど、デット島の後のパクセーはちょっとばかし、”町”に思えた)。

 パクセーから南へ1時間ほど下ったところにチャンパーサックと言う村がある。ここには、あの!アンコールワットより古いと言われるクメール人が作ったヒンドゥー遺跡のワット・プーがある。クメールとはカンボジアの事であり、ラオスにクメール人が作った遺跡?と思われるかもしれないが、今現在引かれている国境と言うものは後からここに来たヨーロッパ人などが勝手に引いたようなものであり、国境付近の町や村を訪れると当たり前だが、何もかも国境線通りにきっちりと線引きされているものでもないのが実情である。

 デット島で共に過ごした他の日本人の旅人達とはその後別れ、皆散り散りになっており今やこのパクセーに居るのは私も含め3人だけになっていた。その3人で1台トゥクトゥクと言うバイク型タクシーをチャーターし、ワット・プーへ行く事とした。トゥクトゥクチャーターは往復で1台15ドル、つまりは1人5ドルと距離を考えるとそこそこ妥当な値段でチャーター出来た気がする。

  赤茶けた東南アジアの道を南に向かって走っていく。予定通り1時間ほどでワット・プーへ到着し、入場料の3ドルを払い中へ。1歩足を踏み入れるとそこには広い平原が広がり、池や宮殿の跡があり、奥の方は小高い丘になっている。この丘に通ずる道の両サイドに見事にプルメリアが咲き誇り、その芳醇な匂いを放っていた。これ以降、日本の宮崎や沖縄でプリメリアを見るにつけ私は毎回、このワット・プーの丘を思い出すようになってしまった。

 それにしてもこれほど広大にそして理路整然としたクメールの遺跡がラオスに残っているとは驚きである。

※写真の順番がちょっぴり変ですが、最後フィルムチェンジしてカラーで撮影した写真を先にご紹介

 この段階で私はまだアンコールワットを訪れていない訳であるが、今改めて写真を見直してみると実にアンコールワット遺跡群で見たものと非常に似通った彫刻があるのが面白い。それを考えると嘗てこの辺り一帯を治めていたクメール王朝と言うものが以下に強大なものであったかを伺い知る事ができる。

 そして、ここにはその後、仏教文化が花開いた為でもあろうか、所々、仏像もミックスされ仏教とヒンドゥーのチャンプルー遺跡になっているのも見所の1つであった。

 遺跡の中ではピクニック、と言う訳でもないだろうがお祈りに来た方々が敷物を広げ昼食を取っていた。遺跡の中でのんびりと食事を摂るなんて何と贅沢な時間であろうか。ここワット・プーはきっと多くの日本人、いや殆どの外国人が知らないような遺跡群であろうし、カンボジアのアンコールワットに比べると知名度もないが、その分ここでは静かに過ごす事ができた。

 静かな森の中にひっそりと存在した嘗ての栄華をそこかしこから何となしに感じる事ができる。地元の人々に愛され、時にはそこでのんびりと過ごして時の移ろいを感じてみたり - 遺跡とはそもそも、かくあるべきものでないだろうかなどと思ってみたりした。

 ワット・プーから戻った午後、この日の内に他の日本人旅行者2人はタイへ向けて旅立ってしまった。遂にパクセーには私1人だけになってしまった。私はここから北上し、再びベトナムを目指す計画であったのだが、泊まっていた宿の近くにインド人経営の旅行代理店があり、表にベトナム・フエ行のバスの張り紙がしてあった。 - 週3便あるようで、翌日バスの運行日であった為、私はパクセーにはもう1泊する事にした。

 翌日、事前に言われた通り朝9時に旅行代理店を訪れると10時半に来てくれと言うではないか。再び訪れると今度は11時に来てくれ、担当のおやじが居ないので、、なんて言われ何だか雲行きが怪しくなってきた。。11時に訪れると案の定バスはキャンセルとか何とかで、結局ベトナムに直接行くバスは無いと言われてしまった。

 しまった、やはりこの直行バスを当てにせず最初から国境の町サワンナケートへ向かえばよかった。が、後悔先に立たず、急いで宿をチェックアウトし北バスターミナルへ向かう。1時発のサワンナケート行きのバスに乗れた。
 サワンナケートからはベトナム・フエまでの深夜バスがあると思うが何時発であろうか。私のラオスビザは明日で切れてしまう。仮に今夜の深夜バスを逃し、明日中にベトナムに入る事ができなければオーバーステイになってしまう。。ベトナムでのオーバーステイを回避すべくバンコクに1度飛んだのが、ここでもまたオーバーステイするかしないかのぎりぎりになってしまうとは、、。

 そんな心配を余所にバスはラオスの舗装された道を北上し順調に走っているかのようであったが、暫く走るとどこかの民家で前で止まってしまった。
 その民家から男性2人が出てきた。2人は大型のモニターを車内に運び込むようで、このモニターでいわゆる地元の歌謡曲のミュージックビデオを流すつもりらしいのだが、配線などに手間取り設置がなかなか終わらない。私としてはそんな事より、早く出発して欲しいのだが、そんな事お構いなしにあーでもないこーでもないと2人でモニターの映りを確認したりしている。
 やっとモニター設置も終わり出発したのも束の間、暫く走るとまた停車し、今度は車内に食事などを売りに来る人達が乗り込んできての販売タイムとなり、バスは遅々としてなかなか進まない。

 そんなこんなんで私も気が気でなく、ゆっくりと景色を楽しむと言う心の余裕がないままバスはサワンナケートへ走っていく。そして6時間後の夜7時、バスはやっとサワンナケートのバスターミナルに到着した。これが定刻通りだったのかどうかはよく分からないが、バスを降りて直ぐまたチケット売り場に走るとベトナム行きのバスは夜10時に出ると言う。よかった!これで明日中には確実にラオスを出られそうだ。

 チケットを購入すると安心して何だか疲れがどっと出た。こういう結果になると分かっていれば、車内に流れるラオス歌謡を聴きながら風景を楽しめば良かった。


 サワンナケートのバスターミナルは広大過ぎる敷地にぽつんとチケット売り場の建物が建っており、そこを取り囲むようにいくつかの食堂がある。野外に置いてあるテーブルとイスを陣取り、ヌードルとラオスのビール・ビアラオを注文した。辺りはもうすっかり暗くなっている。ラオスで何度も飲んだこのビアラオ、これをラオスで飲むのもこれが最後だ。一気にビールを口に含み、「ふーっ。」とようやく一息つけた。
 
 もう少し日程に余裕を持って移動しないとな、ラオス最後の日そんな事を思った。

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