ABBAの「Dancing Queen」が聴こえてくるよ - ハノイ・ベトナム 2004

 - ハノイ

 通りを歩くと「チュック ムン ナム モーイ」(Happy New Year)と新年の挨拶が聞こえてくる。そう、1月下旬ベトナムはテトと呼ばれる旧正月の時期に入ろうしていた。

 サパでは一旦韓国人のチャンと別れ(彼は一足先にハノイに向かっていた)、後日、私もサパからラオカイに出てそこからハノイまで列車で向かった。この列車、座席は木製のハードチェアーで長距離の移動にはなかなか辛かった。

 おまけに旧正月前の為か車内も大混雑で、立っている乗客も居るほど。私は運良く指定席を確保出来て座る事ができたが、最初は立っていた中年の男性が無理やり私の座席にあるちょっとしたスペースに座り込んで来て、おまけにじわじわとお尻を寄せてきて、自分のスペースを確保してこようとまでする。しかし、車内も混んでることだし、そんな状況を考えていると私も押し返す気にもならず、取り敢えず放っておくと、終いには顔をこちらに向けて「ニコリ」と満面の笑顔を投げかけてくる。
 - そんな笑顔を見せられるとこちらも微笑みを返すしかなく、ひとまず皆で運命共同体、狭い車内のスペース、肩を寄せ合ってひたすらハノイへ向け南下していくしかなさそうだ。


 しかし1,2時間ほど走ると途中の駅で乗客もぽつりぽつりと降り出し、列車も大分空いてきた。昼食時になると隣に座り込んできた隣の男性が私にソーセージをそして近くに居たおばさんがこれも食べな食べなと、中にバナナが入った餅やお茶などをご馳走してくれた。

 私の前に居たフランスから来たと言う若者2人はどこで仕入れたのか、いつの間にかビールを飲んでいる。通路を挟んだ隣には韓国人やらフランス人やらイギリス人がおり、彼らもまた同席したベトナムの人々に昼食の歓待を受けていた。

 かくもベトナムの人々は親切なのである。

 そうしてラオカイを発って10時間も列車に揺られ、夜9時、列車はハノイ駅に到着した。ひとまず列車内で知り合ったウェールズ人、ドイツ人、そして韓国人との4人でタクシーをシェアしてオールド クォーターと呼ばれるハノイの旧市街地へ向かうことに。

 町中は夜も更けつつあると言うのに信号待ちの為、ずらりと並んだ無数のオートバイの数・数・数、そして通りを行き交う大勢の人々 - 街は想像以上の熱気に溢れ - まさにアジアの熱気だ - その熱気に私は圧倒されてしまった。

 夜も遅い事だし宿は旧市街で見つけた適当なところにひとまず投宿した。荷物を一旦降ろしウェールズ人とドイツ人とで銀行に出向きATMに向かった。(サパではレートが悪い事もあり最低限のドルしか両替しておらず、ここハノイのATMでひとまずベトナムで使うであろう大体のお金を下ろそうと思っていた)。

 ウェールズ人、ドイツ人と無事お金を引き出し、私の番だ。ATMに私のカードを入れたところ、画面を押しても何も反応しない。終いには画面に”out of service(故障中)”の文字が表示された。 - そう、運悪く私のカードだけATMに吸い込まれてしまったのだ。近くに警備員が居たので(町中のATMじゃなく銀行に備え付けのATMを利用していたのは不幸中の幸いだった。)、事情を説明したが、彼はただの警備員でもあり、「明日の朝来てくれ」としか言う事ができず(それもそうだ)、仕方なくその日は引き下がることにした。
 この日の夜はドイツ人  - 彼の名前はトムと言った - がお金を貸してくれ、夜の食事には困らなかったのだが。。

 翌朝、6時頃、目が覚めた。 - 銀行のカードが心配で眠りが浅く、、と言うのもあるのだが朝っぱらから聞こえてくる無数のバイクのクラクション音がうるさ過ぎて目が覚めたのだ。

 朝8時半頃、再び昨夜の銀行に出向き開くの外で待つ。この日はウェールズ人のシィドが心配して一緒に着いてきてくれた。ドイツ人のトムといい、2人にはとてもお世話になった。そして銀行が開くと同時に中に入り、昨夜警備員に事情を書いてもらっていた紙を見せ、パスポートなんかを見せるとあっけなくカードが手元に戻ってきた。

 これで一安心、昨夜は本当、もう旅は終わったかと思ったがまだまだ旅を続けられそうだ。

 昨夜の宿は通りにも面している為か賑やか過ぎるので、シィドとトムに別れを告げ私は別の宿を探すことにした。
 通りをぶらぶら歩いてここはどうだろうと目星を付け2軒程部屋を見せてもらう事に。 - 2軒目のホテルのドミトリー(共同部屋)は4階だと言う。階段をトントントンと上がっていると上から何と、サパで別れたチャンがビールグラス片手に降りてきた。何と言うタイミングだろう。
 彼は昨夜部屋の旅人と飲んでおり、そのグラスを洗って丁度部屋に戻ろうとしているところだった。再会時にビールグラスを片手にしているとは、まさに酒好きの彼らしい。

 私も早速この宿に移る事に決め、今日からまたチャンとの旅が始まった。

 -「チュック ムン ナム モーイ」と通りからは新年の声が聞こえてくる。2004年1月22日 - New Year のこの日は新年を祝っての花火も夜に上がるという。チャンとの再会も偶然であったが、この日、上海で出会い陽朔で再会していたWorldtomoくんともハノイの町中で偶然再会した。Wolrdtomoくん、チャン、みなで過ごした陽朔、そして再びこのメンバーでハノイで共に新年を迎える事になろうとは思いもしなかった。

 みなでお酒をのんで食事し夜の12時頃ホアンキエム湖に向かった。ここで新年を祝う花火が上がるのだ。季節は1月、この時期に花火を見るというのも何だか不思議な気分だった。花火を見終わった後、Worldtomoくんが滞在している宿で飲みなおそうと言う事になった。-家族経営の素敵な宿だと言う。

 宿に行くと夜遅くにも関わらず(もう次の日になっている訳で)、しかし、新年の為か宿のご夫妻も嫌な顔一つせず我々を出迎えてくれた。そして、ご夫妻は何故かAbbaのDancing Queenのミュージックビデオを宿にあるTVで流してくれた。 - Worldtomoくん曰く、「普段は洋楽のビデオなんて流していないのにこの日は我々の為に(恐らく)唯一持っているとも言っていいであろう洋楽のビデオを流し我々と新年を祝ってくれたのでは」との事であった。

 ベトナムに居ながら何故かAbbaの軽快なリズムを聴きながら、我々はまた飲んで語って笑い合い、素敵なベトナムの新年を共に迎え、忘れられない旧正月 となった。

Leave A Comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA