五能線を北上せよ

 4年半前に訪れた津軽半島のとある駅 - 木造駅 - にぽつんと停車していた1両編成の車両、それが五能線を走る車両だった。

 今回、秋田から弘前を訪れるにあたり思い出したのがこの五能線だ。秋田から弘前へはJRの奥羽線を使えば2時間40分程で到着するが、五能線の”リゾートしらかみ”という車両を利用し日本海側をぐるっと巡って弘前まで走るとなると4時間20分程の旅になる。

 恐らく私が4年半前に見た1両編成のローカル線で移動した場合、とんでもない時間が掛かりそうであるが、旅行者向けに走っているこのリゾートしらかみを利用すると、五能線の風景も楽しめ、また車内でもちょっとしたイベントもあり、4時間20分と丁度よい時間でもあり、その間のんびりと車窓の風景を楽しむのもいいなと思い、今回はこのルートを選んだ。

 これまで列車を使って国内も色々旅してきたけど、所謂、リゾート車両に乗ったのは初めて。はや得の切符で購入して4,600円と値段も手頃で使い勝手のいいリゾート車でした。

 列車は秋田駅を8時20分に出発する4両編成の車両だ。私は先頭車両の指定席を予約。乗り込んで早速車内を散策すると2両目がコンパートメント席(ここの席での旅も楽しそうだ)、3両目に車内販売のある指定席、そして4両目が1両目と同様の指定席タイプであった。

 出発して暫く、列車は遠く男鹿半島にある山々を眺めながら八郎潟周辺をのんびりと進んでいく。

 特に何も考えていなかったのだが五能線の「能」は実は東能代の「能」であったようだ。しかも五能線起点のサインを見た時点で、もう一方の「五」がどこかもよく考える事なく、数日後に「五」が何処かと言う事が分かった。 - そもそも五能線は路線的には始点、終点どちらもちょっとずつ延線して秋田から青森まで結ばれている。
 
 そんな事もあり、「五」と「青森」が結びついていなかったのだが、この数日後、弘前から青森へ抜ける時に津軽半島にある「五所川原駅」の「五」だと今更ながらに気付いたのである。なるほど、だから五能線か。そう思いながらこの文字を見ると何だか地形がはっきりとイメージできるものである。何となしに眺めていた1両編成の五能線の車両、そこから4年半越しの発見であった。

 東能代駅を過ぎると次は能代駅だ。ここはバスケットで有名な能代工業もある町なのか、駅がバスケ一色であった。駅にも10分程停止し、シュートゲームを1人1回挑戦できると言うお楽しみまで付いている。

 みんな次々とゴールを外す中、私は無事ゴールを決めて、周りから拍手喝采を浴び(ちょっと嬉しかった!)景品に秋田杉で出来たコースターを頂いた。実は遡ること数十年前であるが、私が通っていた高校はバスケがとても強く毎年、全国大会に出場する程であったのだが、同級生にも当然バスケが上手い友達が沢山居て、そんな彼らにシュートのやり方とかコツとかを教わった事があり、それが生きたようだ。私はバレーボール部だったのですが。

 みなそれぞれにバスケのゲームを楽しんだり、最後は駅のスタッフがお手製の巨大な”手”で別れの挨拶をしてくれてとっても暖かい気持ちになれる駅でした。いい駅だったなぁ、能代駅。そんな思い出が残っています。

 こんな具合に次々と駅で降りてのイベントがあるのかと思いきや、イベントがあったのは能代駅だけでした。しかし駅によっては長めに停車してくれて、ホームに降り外の空気を吸いながらとのんびりとした外の風景を味わいながらの移動でした。
 列車は左手に日本海を見ながら一路青森に向けて北上 - 途中青池と呼ばれる十二湖や不老ふ死温泉の最寄り駅を通ったりの旅(なるほど、これらは名前だけは知っていたが五能線で行けるのかとこれ又今更ながら知りました)。

 秋田の終わり、これから津軽半島に入ろうとする頃、車窓からは千畳敷と呼ばれる奇岩が広がるエリアに差し掛かり車内放送にも津軽と言えばの吉幾三の声も登場し車窓からの風景を盛り上げてくれる。この千畳敷、江戸時代の大地震で隆起して出来た奇岩だとか。そこでのんびりと釣りを楽しむ人の姿も - 列車を見上げ大きく手を振ってくれたので車内のみんなも振り返す。そんな光景もリゾート車ならではですね。

 この辺りを過ぎ鯵ヶ沢までが残り少ない海沿いの景色となり、その後は津軽平野の風景へと変わってくる。鯵ヶ沢と言えばぶさかわの秋田犬で有名なわさおが暮らしていた町だ。

 そして、暫く走ると遂に!津軽富士と呼ばれる岩木山が見えてきた。前回津軽を訪れたのは夏であったので、雪化粧の岩木山は初めてだ。美しい。津軽の人の心の故郷 - 岩木山 - だと私は勝手ながら思っているのだが、やはり岩木山を眺めるにつれ、あぁ津軽だなぁと思うのである。

 鯵ヶ沢駅から大荷物を抱えた2人の方が乗ってこられたのだが、ゴルフか何か?と思いきや、この方々津軽三味線の演奏者であった。ここから暫くは車内での津軽三味線の生演奏 - 車窓の風景は津軽平野と背の低いりんごの木々、そして時折顔を覗かせる黄色い菜の花々に変わり、秋田は完全に終わって津軽平野にやって来た感満載である。

 津軽三味線の生演奏が終わると残りの走行はクールランニング的 - 後は目的地の弘前や青森に向けてひた走るだけのような流れ。途中、遮光器土偶の巨大オブジェでかたどられた面白駅の木造駅も特に案内や停車する事もなく列車は走り続け、弘前駅に無事到着した。

 折角なので4年半前に撮影した遮光器土偶の駅 - 木造駅の写真もご紹介。これはかなりのインパクトでした。

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