日本寺で瞑想してみたり - ブッダガヤ・インド 2004

 これまで西へ西へと進む旅を続けており、バラナシの後も西に位置するデリー、そしてそこからは北へと向かうつもりであったが、ここでちょっとばかり逆戻りし、バラナシより東に位置するブッダガヤへ向かう事にした。

 ここは言わずと知れたお釈迦様が悟りを開いた地である。

  - バラナシの駅には朝の9時半に到着。駅の掲示板を見るとガヤ行きの列車は1時間半の遅れと表示されている。取り敢えず駅員にガヤ行きの電車が発車するプラットフォームを聞くと「No.9」という答えが返ってきたので9番ホームに移動し、そこで電車を待つ。11時を少し過ぎた頃に列車が1台やって来た。が、行き先も列車番号も何も書いてない。

 私が乗る予定の列車番号は8104で、近くにいたインド人に「これは8104?、ガヤ行き?」と一応尋ねると、「違う。これはガヤとは反対方向へ向かう列車だよ」との答え。「なるほど」と一瞬思ってみたりもしたが、時間的にも丁度いいし何となく私が乗る列車のような気がする。列車内の人に再度聞いてみるとやはり、ガヤ行きだと言うではないか。もはや何が本当でそうでないかがよく分からないが、車内の人がガヤ行きというのだから間違いないだろうとこの列車に乗り込む。


 乗り込んでみると車内はかなり混雑しており、そして私の指定席には既に誰かが座っている。。「ま、しょーがない」と適当に空いている席を見つけそこに腰を降ろす。途中大雨になり開け放たれた窓から大量の雨が降り込んできた。インドの雨季も近いな。なんて事を思いながら、バラナシから走ること約5時間、列車はガヤ駅に到着し、そこから列車内で知り合ったアメリカ人、韓国人とオートリキシャをシェアし、無事ブッダガヤに到着した。

 ブッダガヤの街はミャンマーのバガンのようでもあり、カンボジアのシェムリアップのようでもある。のんびりと、とてもよい仏教的なオーラが渦巻いている町だ。

 暫くすると雨は上がったが、至る所に水溜まりができており、歩きにくい。ここは暑いと聞いていたが雨が降ったおかげか、幾分と涼しく過ごしやすいようにも感じる。

 ブッダガヤの町で何日か過ごしていたそんなある日、お釈迦様六年苦行の地へ行くことになった。六年苦行と言うか、お釈迦様が六年間、瞑想したと言われる洞窟見学である。

 メンバーは先日列車内で知り合ったアメリカ人と彼が宿で知り合ったこれまたアメリカ人、そして私が町の食堂で知り合ったSさんという日本人の方の全員で4人だ。1人50ルピー(150円)出し、馬車で行く事になった。片道約1時間半の道のりだ。

 出発し、暫くすると目の前に広大な田畑や川が見渡せ、そこでは水牛たちが沢山生活しており、実に牧歌的な風景が広がっている。

 
 馬車は洞窟の近くまで行き、その麓で一旦降りて、そこからは歩いて行くことになった。歩くこと10分でやっと洞窟へ到着。道中でこぼこ道だったのもあり何だか疲れた。到着してみるとそこは小さく暗い洞窟であったが、とても神聖な雰囲気を醸し出していた。ここで六年か、、気の遠くなるような年月である。

 そして後日、今度はSさんと2人してスジャータ村へ行こうと事になった。

 ここも前述した六年苦行に関連した地であり、そのスジャータ村はお釈迦様が六年苦行の末、衰弱した身体でこの村にやって来た際、スジャータという娘さんがお釈迦様に乳粥を与えたところ体力が回復し、その後お釈迦様がブッダガヤの地で悟りを開いたという逸話に由来している村である。

 宿から田園風景の1本道をひたすら歩く。空はどこまでも青く、風景がとても綺麗だ。が、暑い。今日は正にインドの暑さを象徴するような晴天だ。途中、さすがに暑くなり大きな木陰で休憩。木陰に入ると意外と湿気がなく涼しい。そして我々外人がめずらしいのか、時折子ども達が沢山と寄ってきたりと実に可愛いものである。

 そもそも我々は地図も持たずにただ、町中で聞いた情報を元に歩いスジャータ村を目指していた訳であるが、30分程暫く歩くと村らしきところに辿り着いた。

 ここがスジャータ村?お寺があると聞いていたが見当たらない。1軒の家の前に家族がわらわらと出てきたので、どうにかコミュニケーションを図り、お寺やスジャータ村の事を聞いてみたが、どうやらここではなく、反対方向にあるらしい。

 そもそもが町を出てスタートした時点で反対方向に歩いていた事が判明したのだが、この炎天下の中、今さら引き返して戻る気力も残されておらず、結局はこの村で暫く時間を過ごす事とした。名前もよく分からず、そして偶然やって来た村、ここには食堂も何もなかったけど、2人して木陰に座り、道行く人と挨拶を交わしたりする時間は、それはそれでいい時間というかいい思い出となった。

 ブッダガヤには各国のお寺があり、勿論日本寺もある。外観は見るからに日本にあるお寺で、そこには梵鐘もあり、夕方5時頃になり、ご~ん、と鳴り響く鐘を聞いているとまるで日本に居るかのようである。

 このお寺にはこの頃、妙照さんという高野山で修行を積んだという尼さんがおり、夕方になると毎日、瞑想を教えてくれ、Sさんと2人してせっせと出掛け、瞑想が終わると3人して色々と話し込んだというか、妙照さんのありがたいお話を聞かせてもらっていたりしていた。

 そんなある日、話題はやはりというか自然と輪廻転生の話になった。私はこのブッダガヤの菩提樹の下でお釈迦様が悟りを開いたという、この木が大変気に入っていたので、もし来世、生まれ変われるとしたら、もう人間でなくても、この地で菩提樹として生まれ変われるのもいいかもしれない、とそんな事を口にすると、Sさんそれには賛同しかね、彼は断固としてまた人間に生まれ変わりたい、と言って譲らなかった。

 お釈迦様が悟りを開いた地で、菩提樹としてのんびりと生きていく、そんな来世もなかなか悪くない - この地で暫く暮らしているとそんな気持ちにさせてくれる、そんな町、ブッダガヤである。