バンテアイ・スレイへの道 - バンテアイ・スレイ ・カンボジア 2004

  - シェムリアップ州・シェムリアップ

 4:50AM起床 - 今日はアンコール・ワットの背後から昇る朝日を見に行く予定の為、いつもよりも早起きだ。

 宿の1Fで自転車を借り、まだ日の出前の道をひたすら走る。夜明け前なので当然ながら辺りは真っ暗だ。そんな暗がりの中、自転車に跨り1本道をひた走る ー アンコール・ワットの朝焼けを目指して 。

 しかし街灯なんて1本もなく真っ暗である。おまけに道も悪い。自転車にはライトなんて付いている訳もなく、日本から持参していた懐中電灯を自転車の前かごに置いて走っているのだが、固定されていない為、イマイチ道を照らしてくれない。(因みにこの経験から、その後海外に出掛ける時は頭に固定できるヘッドライトを持参するようになった)。

 本当に真っ暗で、普段昼間に走り慣れている道ではあるが、どの辺りまで来たのかさっぱり分からない。「今はどの辺りだろう?」なんて事を思いながらしばらく走っていると、暗闇から懐中電灯を持った男性が突然出てきてビックリした。そしておもむろに「ハロー、サー」、「ハロー、サー」、「「チケット プリーズ」と言って来た。どうやらチケット確認のチェックポイントの人のようだ。アンコール・ワット遺跡群は一旦中に入ってしまうとその後チケットの確認はないので、朝早くからチケットなしで入る人もいるのかもしれない。そんな不正を防ぐ為に早朝から働いているチェックポイントの人もちょっと気の毒だ。
 

 兎に角、いつの間にか到着していたようだ。思っていたよりも早く到着した。

  薄っすらと明るくなってくる空の下、アンコール・ワットを正面から見てやや左側に陣取り三脚を立て朝日が昇ってくるのを待つ。

 段々と明るくなってきて、遂に!と思いきや、この時期は雲が多い為か、アンコール・ワットの後方から朝日が昇り塔全体がシルエットになるというイメージ通りの光景は見られず、何だかいつの間にか日が昇り、気付くと辺りは明るくなってしまったという印象。とまぁ、そんな感じであったのだけれど、早朝のアンコール・ワット一帯は静謐で、そしてキラキラと輝いていた。

 その後持参していたパンを齧りつつコーヒーを飲みながら、今日はこの後どうしようか、なんて思っていると突然雨がぱらぱらっと降り出した。どうやら今日はちょっとは涼しくなりそうだ。

 この時、私の頭の中に1つの考えが浮かんだ。ちょっと距離はあるが、今日はまだ時間もたっぷりとあるし片道30km先のバンテアイ・スレイと呼ばれる遺跡まで行ってみるのはどうだろうか、と。実はこの時期私の周りの旅人でチャリダー(自転車で旅をする人の事)の事がよく話題に上がっていた。ある人は日本から自転車を乗せて船で中国に渡り、そのまま中国横断後ベトナムに入国し・・・、またある人は自転車でインドを旅していたけど暑さにやられて結局列車に乗ってしまった・・・などなど、こんな話を聞いていたせいもあり、私も彼等のように自転車で各国を旅する事はできないけど、似たような経験をしてみたい!と思ったのである。

 ところで、今日借りた自転車はイマイチ調子が悪かった。座っているサドルはガタツキ、前輪も何だか安定していない。朝日を見るべく急いでおり、あまりえり好みせずに自転車を選んだのが失敗であった。しかもこの時はまさか遠出するなんて思ってもみなかった訳であるし。

 しかし、取り敢えずは何とかなる、といつもの楽観主義的発想で出発したのだけど、これがやはりいけなかったと後々後悔する事となるのだが。。

 とりあえず、再度、バンテアイ・スレイを目指しカンボジアの大地 - 赤茶けた田舎道を走る。雰囲気的には南ラオスのようで、まさに東南アジア風情の道で、道中子供達が「ハロー、ハロー」と声を掛けてくれる。

 雨で涼しくなったとは言え、すぐにいつもの灼熱の大地に変わり、汗だくになりながら1時間半ほど走っていると遂に前輪が真っ直ぐ動かなくなってしまい、よろよろとしか走れなくなった。それでも騙し騙し走っていたが、暫くすると遂に走行不可能状態になってしまった。

 こんなよくどこだか分からない場所で!はっきり言ってピンチである。しばらく途方に暮れつつ手押しで進む。。

 と、ここで思いがけない幸運とでも言おうか、左前方の木造の小屋らしき建物の前にタイヤのゴム(チューブ)が掛けられ、空気入れも置いてあるのが見える。何という幸運!あれはどう見ても自転車屋というか修理屋のようである。普段目に付いてないだけかもしれないが、自転車の修理屋なんて東南アジアでそうそう遭遇できるものではない(と思う)。

 早速お店の主人らしき人に事情を説明すると、外国人が珍しいのか、わらわらと野次馬が沢山集まってきた。英語は全く通じないが、主人が身振り手振りで説明するにどうやらタイヤの中心箇所がずれてその影響でタイヤがうまく回らないような事を言っているようだ。と、その時、主人は一旦お店の奥に引っ込み新品のタイヤを手にして現れた。何だか高そうな気もするが、、一応いくらか聞いてみると、指で4と表した。4ドルか。高いのか安いのかよく分からないが、修理しないともうどうしようとないので、お願いする事にした。そして、主人がその後、私に何か言っているのだが、クメール語なのでさっぱり分からない。どうしたものか、、と思っていると丁度バイクで通り掛かった人が気に止めてくれ、通訳してくれた。その方曰く、どうやら「修理に1時間程掛かる」と主人が言っているらしい。

 なるほど、そーいう事か。因みに通訳してくれた方は町でお医者さんをやっているらしく(どおりで英語も話せる訳だ)、この近くに住んでいるので、待つ間家に来て、一緒に昼食でもどうだ、と誘ってくれた。何ともありがたい話である。

 バイクの後ろに乗せてもらい彼の家に向かう。家は、この辺ではよく見かける高床式の住居で中に部屋は3部屋あった。TVはバッテリーから直結した白黒TVが1台。ガスコンロのキッチンや桶に溜められた水があったりという有様で、奥さんが丁度昼食の準備をしており、突然の来客にも関わらず素敵な笑顔で私を迎え入れてくれた。

 お昼ご飯は白米とスクランブルエッグ、それに魚のスモーク焼きと冬瓜のような野菜のスープであった。こうやっていつもいつも誰かの親切心を受けているからこそ私は旅を続けて来れているのだと改めて感謝するのであった。

 通訳してくれた彼と家族や近所方々にはすっかりとお世話になった。1時間ほどして修理屋に戻ると(そこまでもまた彼が送ってくれた)、すっかりと自転車は復活していた。しかも、先ほどのようなガタツキもなくなっており、かなり走りやすくなっている。

 お世話になった方々に別れを告げ、そこから更に1時間半程走りやっとバンテアイ・スレイに到着した。しかし、あまりにも暑さで疲れすぎていたのか、こう言っては何だが最早遺跡は割りともうどうでもよくなっていた。ここに自転車で無事到着したこと、そして回りの方々に助けてもらったこと、そんな事で頭がいっぱいで遺跡見学もそこそこに暫くしてまた自転車に乗り、帰路についた。何と言ってもここからまた自転車で宿まで戻らなくてはならないのだ。

 結局この日1日だけで700ml入りのペットボトルの水を6本も消費してしまった。

 普段とは一風変わった遺跡巡りで、まぁ単なる自己満足かもしれないけど自転車でバンテアイ・スレイまで行けたのはよかった。帰り道、アンコール・ワットのお堀のほとりで夕涼みがてら休憩していると学校帰りの女学生達もやって来て、みなでお堀の縁に座って歓談し始めた。よくある学校帰りの寄り道的な風景であるけど、こんなアンコール・ワットのど真ん中、そんな事ができるなんてちょっと羨ましくもあった。

 時折お堀から吹いてくる心地よい風の中、今日1日起こった事を思い起こす。 - 何だか長い1日で色々あったけど今日起こった出来事はまた今回の私の旅の中でも大切な思い出の1つとなった。

 最後はモノクロフィルムでぱしゃりと1枚撮影 -

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