鄭成功の思い出 - 鼓浪嶼・中国 2004

  - 福建省・鼓浪嶼

 竜岩からは広州を抜け桂林(実際には桂林から1時間ほど離れた陽朔(ヤンシュオ))まで行こうと計画していたが、2003年当時、SARSウィルスなるものがちょっと前に流行っており、それを避けたいな、という思いもあり、調べてみると厦門(アモイ)から陽朔までは長距離バスが出ているようだ。
 
 そんな経緯もあり竜岩からは西に位置するアモイまで一旦出る事にした。

 海沿いにあるアモイの町の目の前はすぐ台湾だ。ここまで来ると気温もぐっと暖かくなり、ようやく寒い寒い中国北部の旅から解放された感がある。
 そしてアモイは中国の中でも経済特区の1つでもある。 - その為か街並みはこれまで旅してきたどの町よりもキレイでゴミも落ちていない。町には台湾からの旅行者と思われる人達も多く居たり、香港からの船もあるようで、これまでとは違った垢抜けた雰囲気が町中には漂っていた。

 夜には話で聞いた台湾にあるような夜市が建ち並びそんな中をぶらぶらと歩くのは実に楽しいひと時であった。

 アモイでは海の直ぐ近くに宿を取った。時折部屋の中に流れてくる潮風が実に心地よい。歩いて直ぐの港からは鼓浪嶼という小さな島まで船が出ていた。-現地の言葉で「コロンス島」、北京語読みだと「グーランユー」である。
 グーランユーなんて何だかロマンチックな響きだ。しかし、一般的には「コロンス島」と呼んでいるようなのでここでも「コロンス島」と書く事とする。

 1月1日の新年の朝(新年と言っても中国では旧正月を祝うのでこの日は何もない普通の日同様であった)、港にあるチケット売り場に行ってみると沢山の売り場がある。10元(150円)だの98元(1500円くらい)だの1日周遊券みたいな記載がありどれを購入すべきかよく分からない。取り敢えず1番安い10元のを買っておけばいいかなとも思ったがもう少し様子を見てみることにした。

 すると皆、特にチケットを購入する事なく港にやって来ては普通に次々と船に乗り込んでいる。 - なので私もそれに紛れ込んで船に乗る事にした。途中で切符を見せろと言われ、もし持ってなく罰金、なんて言われたらどうしようと内心ハラハラしないでもなかったが、そんな心配をよそに船はあっという間に - 2,3分で島に到着した。 - 着いてみて分かったのだが、どうやら島に来た人はどの道みんなアモイに戻るので、帰りのみ切符が必要というシステムらしかった。因みに帰りに購入したチケット代はたったの3元(45円)だった。

 島にはバイクも車も走っておらずとても静かだ。

 おまけにここはその昔各国の領事館があったせいか、建築はコロニアル風で何だか異国にいるようである。(まぁそもそもがここは異国ではあるのだが。)
 コロニアル風や中華風の建築が混ざり合った通りを何となしに歩いているとどこからかピアノの調べが薄っすらと聴こえてくる - コロンス島とはそんな素敵な島だった。

 そんな島をぶらぶら歩いていると浜辺に海の方を向いた巨大な白い像が建っているのを発見した。ここいら辺りではきっと有名な人物なのであろう。近くまで行き足元に彫られた文字に目をやると「鄭成功」と流麗な簡体字で3文字彫られていた。
 「鄭成功」、「鄭成功」・・・
どこかで聞いた事がある名前である。しかし、いくら思い出そうとしても、ど忘れして映画の主人公や監督を思い出せない時のように思い出す事ができない。絶対に知っている名前であると言うのは分かるのだが、はて?どこで聞いた名前であろうか。。しかし、いくら思い出そうとしても結局この時は思い出せなかった。

 気になったままそれから数日経ち、どこかの町を散策していた時だか、どこかの町へ移動していた時だかは忘れたが「鄭成功」について突然思い出した。
 
 そうだ、鄭成功は(母親の名前などの詳細は後で調べて分かった事だけど)福建省出身の父と日本人の母 - 田川マツ -との間に生まれた子供である。その田川マツは長崎県の平戸島の人で、私は小学校の低学年時に平戸で過ごしていたのである。

 平戸でその当時、住んでいた家から歩いて5分のところに港があり、学校に行く時も近所で遊ぶ時もよくその港の近くを歩いていた。その港に確か、鄭成功が昔乗っていたと言う船(当然復元されたレプリカの船である)が、イベントか何かで数日停泊していた事があり、更には事前に申し込めば船内を見学できるという催しみたいなものがあったように記憶している。

 小学2年か3年生だった私は母親と一緒にその船に乗った記憶がある。そう、確かあの時の船の主の名前が「鄭成功」だったと突然思い出された。


 あれから20数年経ち、日常の生活の中でもうほぼほぼ忘れかけていた「鄭成功」の記憶が、ここ中国で思い出され、そしてあの頃の事と繋がるとは何だか人生とは不思議である。そんな「鄭成功」との縁を感じたコロンス島の旅であった。

 昨年(2019年)、約30年振りに平戸を訪れた。
昔よく行っていた海水浴場の駐車場には鄭成功の像が建ち(どうやらこの海水浴場の近くが生誕の地であったらしい。)、そして更にその近くには鄭成功記念館なるものも出来ていた。平戸もまた変わらずと言うか益々鄭成功で盛り上がっているようであった。

 私の遠い記憶とを繋いでくれたコロンス島、鄭成功が見守りそしてどこからかピアノの調べが聞こえてくる町中を、そんな私の記憶とは関係なしに今日も地元の人々が行き交っている。

 
 30年振りに訪れた平戸の写真はこちら。海水浴場近くの鄭成功の像の写真もあり、です。

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