旅をする本のはなし・カンボジア 2004

 旅をする本のはなし - シェムリアップ州・シェムリアップ

 長くアジアを旅するにあたり日本からは文庫本を3冊持参した。これらの本は読み終わると道中出会った旅人が同じように読み終わった本を持っていれば、それと交換するという具合で、結局1年程旅した結果、私は様々な本と出会う事ができた。

 日本から持参したのは、ミャンマーに行く前に気分を盛り上げようという事で「ビルマの竪琴」(ミャンマー関連の本で思い付いたのがこの本だけど、実に安直だ)、この本は確かバンコクで読み終わった後、交換を果たし、私は代わりにさくらももこさんの「さるのこしかけ」という本を手に入れた記憶がある。

 そしてもう1冊が一ノ瀬泰造氏の「地雷を踏んだらサヨウナラ」だ。こちらは若き戦場カメラマン・一ノ瀬泰造氏がインドシナ戦争を撮影し続けるうちに、その当時クメール・ルージュが拠点としていたアンコール・ワットへと向かう - 彼自身の写真と日記を綴った内容の本だ。この本は後に浅野忠信氏主演で映画化もされ、シェムリアップにあるレストランでこのポスターを見掛ける事もできた。


 アンコール・トム - クメールの微笑みと言われる巨大な顔の像がある寺院では、この微笑顔を見ながら腰掛けられる丁度よい場所があり、ここでこの「地雷を踏んだらサヨウナラ」を読んでいると、1人の僧侶が興味を示し「何を読んでいるのか?」と言った感じで私に近づいてきた。説明するより見せる方が早いと思い、私はその本を彼に手渡した。勿論中身は日本語で書かれている訳であるし、内容は分からないと思うが、本に載っている写真で昔のカンボジアの写真だと彼は気付いたかのように熱心に読み始めた。その写真に彼は何を感じたであろうか。そんな光景が実に印象深く私の心に刻まれている。

 この本は読み終えた後、後にバンコクで出会った女の子と交換し、その後、彼女が帰国する際に日本に持ち帰り、大阪の実家の本棚に並べられたという事を後に聞いた。

 さて、突然であるが話はこの時から更に遡り - 1996年 - その当時私は大学3年生だった。就職活動を間近に控え、結局色々と考えた末私が選んだ道はカナダへ語学留学するという事であった。きっかけは思い起こすと色々あるのだけど、1つ印象的な出来事を紹介すると、それは、福岡の道端(その当時私は福岡に住んでいた)で外国の方に道を英語で聞かれた時の事だ。
 頭の中ではそこまでの道順が分かり説明できそうなのに英語が全く出て来ない。。挙句、口からは「Over there!」、「Over there!」という言葉しか出てこず、その方向を指差しているだけ、という貧弱な説明しかできず、「うーむ、英語というものを約10年も勉強しておきながら、言える言葉はOver there、というのは何とも情けない」とそんな気持ちになり、これもカナダ行きを決めた切っ掛けの1つとなった。

 勿論、理由はそれだけでないけど、行くと決めたら早かった。大学4年になるとバイトを4つ程掛け持ちし、資金作りに勤しんだ。初めての海外だというのに、カナダへ行くという事に対しては不思議と不安はなかった。寧ろ帰って来てからの方が不安で、帰国後の仕事の事とかどうしよう、何て行く前からそんな心配ばかりしていた。

 そんな矢先、私の周りに唯一大人と呼べる知り合いの女性がいた。恐らく私より20歳程年上であり、実家で個人の英語塾の先生をやっている方だ。うちの近所にあるという事もあり、私は高校時代この塾に通っていた。因みにうちの高校は猛烈な進学高で誰も彼も塾に通う時間もない程で、私も唯一この塾にだけは時間を見つけて通っていた。

 この先生は英語を教える傍ら、よく海外に1人で出掛け、そんな海外の話を昔からよくしてくれ、実家に帰った時も(近所でもあるので)ばったりと道で会うと、その後の近況報告などを交わし、細々とではあるが親交が続いていた仲であった。

 その当時、私の周りで海外の事をよく知っている人はその先生しか居なかった。私がカナダ行きを決断し、何となく不安に思っていることなんかを相談すべく、先生の自宅に電話を掛けると、「それじゃ、今度(私が)長崎に帰省した時に一緒にランチでもしましょう」と時間を作ってくれる事となった。もう25年位も昔の事になるけれどこの時の事は不思議とよく覚えている。

 ー ゆっくりと先生と話をするのは高校卒業してから初めてかもしれない。この時先生は「email」と「emale」を間違って書いた人の話や、英語に磨きを掛けるという表現の時に右手でこするような仕草と共に「Brush up」なんて言葉を使った事など、今でも鮮明に覚えている。そして私の色んな心配をかき消してくれるかのような言葉を沢山掛けてくれ、カナダ行きについて背中を押してくれた。

 そして、ランチ会もお開きになりそろそろ帰ろうか、という時に私に是非という事で2冊の本を薦めてくれた。 - どちらも沢木耕太郎という作家の本で1つは「深夜特急」、もう1つは「彼らの流儀」という本であった。沢木耕太郎という作家の名前を耳にするのはこの時が初めてであった。 - 早速私は書店に赴き「深夜特急」という本の第1巻を手に取った(驚いた事にこの本は6巻まで続いていた)。
 内容は若き日の作者(沢木耕太郎氏自身)がインドのデリーからロンドンまでローカルバスを乗り継ぎ旅をするというノンフィクションのストーリーであった。読み始めて直ぐに夢中になった。そして6巻全てあっという間に読み終えてしまい、こう思った。「私も20代のうちにこんな風にアジアを旅してみたい」と。読んだのはカナダに行く前であったけれど、私の趣向は既にアジア旅へとも向かっていた。

 - カナダで無事1年過ごし、それから東京に出て働き始め、すっかり東京に落ち着き、昔思い描いていたアジアへの旅へはなかなか出られないでいた。が、20代最後のギリギリのタイミングで遂に出発する事ができ、福岡港から釜山港へと渡り、私のアジアへの旅が始まった。 そして、私は沢木耕太郎氏の作品にすっかりファンになっていて、その後も様々な作品を読んでいたのだけど、不思議と「彼らの流儀」はこの時まだ読んでいなかった。なのでこのアジアへの旅には「彼らの流儀」を持っていくこととした。

 あの時、先生があの時薦めてくれた「深夜特急」でアジアへの旅に憧れ、もう1冊の「彼らの流儀」を持って旅に出る。 - こうした一連の流れは何だか自分に実にしっくりと来る旅のスタートであった。

 「彼らの流儀」は読み終わった後、確か上海で出会った旅人が持っていた本と交換し、その旅人から後日聞いた話だとその後、中国・雲南省の麗江(リージャン)で、同じように他の旅人の本と交換したという事らしい。その後、この本がどうなったかは全く分かっていないけど、その後も交換に交換を重ねられ、今でも何処かの国を旅しているかもしれないし、それかどこかの旅人がこの本を大変気に入り、日本に持ち帰って今では日本の何処かの本棚に収まっているかもしれない。

 実は先述したこの先生は、私がアジアへの旅に出る前に程なくして突然亡くなってしまった。あの時、長崎でお昼を共にし素敵な本を薦めてくれたことに今でも感謝している。1冊の本が人に与える影響というものが本当にあるものなんだな、と思うと同時に、自分がそんな本に出会え、実際に旅をして世界が広がった事に人生の巡り合わせの不思議さのようなものを感じる、そんな私の人生である。

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