霧の向こうに佇んでいたカンチェンジュンガ - ダージリン・インド 2004

 コルカタ発ダージリン行の列車は19時35分発だ。正確には鉄道はその手前の町、シリグリで乗り換えとなるので、まずはそこまで行く事となる。

 宿の1階ソファで駅に行くまで時間を潰していたところ、偶然にも隣に座っていたバングラデシュから来たベンガル人も同じ列車という事が判明し、2人でタクシーをシェアし駅まで一緒に行くこととなった。 - それにしても、このベンガル人は裕福なのか、宿の人に10ルピー(約30円)ずつ支払い自分の荷物をタクシーまで運ばせていたり、タクシーを降りてからもお金をばんばん使い、駅に居るポーター達に荷物を運ばせていたりとお金を湯水のように使う。タクシー代に関しても、私が半分を支払おうとすると「いい、いい、俺が全部払うから」と言ってお金も受け取らないという始末で、うーむ、ラッキーなのか何なのか、いきなりこんな出だしであった。

 それより何よりホームは薄暗く黄色い街灯がぽつり、ぽつりと灯っているだけで停まっている列車もどこ行きかよく分からない始末でもあり、そこは乗客たちでごった返している。幸いにもこのベンガル人が色々と詳しく、我々が乗る列車へと誘導してくれたからいいものの、1人だとどの列車に乗っていいか迷いに迷っていたかもしれない。

 インドの寝台車も中国の列車と同じく片方の窓側の1コンパーメントに3段ベットが2セット置いており、つまり1コンパートメントに6人が寝られる仕組みである。

 中国の場合はコンパーメント反対側の窓側には小さいテーブルと折り畳みの椅子が設置されているが、インドの場合はここにも2段ベット1つあり、つまりは、1コンパーメントに6人、通路を挟んで更に2人が寝れるようになっている。 - そんな事もあり、列車の中はどこも人で沢山である。

 因みに私が使用する事になったコンパーメントだが、私は1番下のベッドで上が偶然にもタクシーをシェアしたベンガル人、その上がフランス人。で、隣のベットは1番下がロンドン人、その上がニュージーランド人、で、1番上がフランス人。更に言うと通路を挟んでの2段ベットには1番下にイタリア人、上がオーストラリア人という実に国際色豊かな多国籍群であった。

 インドの列車は当然ながら遅れるものと思っていたが、予想に反して遅れることもなく定刻通り列車はコルカタの駅を離れた。

 出発は遅れなかったものの到着は3時間遅れでダージリン近くのシリグリ駅に到着。結局16時間の列車旅だった。ここで我々外国人集団8名の内、ロンドン人だけ別の列車に乗り換えることに。残った我々はここから世界遺産にもなっているトイ・トレインに乗ってダージリンに行きたかったのであるが、運悪く予約一杯で2,3日待ちになるという事で、Jeepを1台チャーターし、ダージリンに向かう事にした。

 チャーターしたJeepでくねくねと曲がりくねった1本道を何度もカーブしながら標高を上げていく。途中から辺り一面霧に覆われ始めた。そんな中をJeepは標高を上げながらどんどん走る。途中、ゆっくりと走るトイ・トレインを追い越した。 

 シリグリから3時間半ほど走り、我々はダージリンに到着した。標高がぐんと上がったせいか気温がとても低くなったようだ。何と言ってもダージリンは標高2,000mの高地にあるのだから。そして到着して直ぐは、霧と雨のせいで視界も悪く、吐く息も白い。コルカタはあんなに暑かったのに、ここは間逆でとても寒い、ダージリンの第一印象はとても寒く坂の多い街、そんな印象であった。

 いきなり余談であるが、中国から東南アジアへと抜け、カンボジアを旅していた辺りから、無性に餃子が食べたくて仕方がなかった。東南アジアでも中国から伝わったのか、炒飯や麺類は食べる事が出来たのだが餃子はトンと見かけなくなった。カンボジアのプノンペンでもメニューに餃子を見つけたのだが、「できない」と言われ、逆に餃子熱を加速させる始末だったり。そして、遂にチャンスはミャンマーのヤンゴンでやってきた。宿に置いてあった情報ノート(宿に置いてあるノートで、旅行者がこれまで旅してきた町の情報や美味しいレストラン情報などを書き込んでくれているノート)に餃子が食べれる中華料理屋さんが書いてあるではないか!早速、同宿の日本人の方と出掛けるが、潰れてしまったのか、移転していたのか、その餃子屋さんは見つける事ができなかった。この時ばかりはさすがに脳内餃子モードになり、それ以降無性に餃子が食べたくて食べたくて仕方がなくなってしまった。

 そしてここ、ダージリンで餃子との出会いは突然やって来た。いつも食事をしている屋台に何やら餃子らしきものを発見し、屋台のお母さん(ここは母娘の経営するお店だった)に「これは何?」と聞くと、「モモ」という答えが返ってきた。果たして餃子の味がするのか?はやる気持ちを押さえチキンモモを1皿注文。6つ乗ってたったの10ルピー(30円)であった。

 で、味の方はと言うと、まさしく餃子!そのものである。そして美味し過ぎる!と大感動。

 モモは因みにチベットの蒸し餃子の事で、まさかここで餃子に出会えるとは思っていたなかった。モモを食し、食後には美味しいチャイを飲む。これがここダージリンで、私の毎日の献立となった。

 閑話休題 - ダージリンと言えば、やはり最初に思い浮かべるのは紅茶ではないだろうか。と書いたものの、実は私はダージリンはインドと言うよりもイギリス辺りにある地名だと思い込んでいた。ここダージリンには幾つかの茶畑があり、この日は、その1つのHappy Vallery茶園へ出掛けてきた。

 霧深い中、そのお茶園は急峻な斜面に作られ、濃い緑の茶葉が茂る中、ネパール系の女性達が茶葉を摘んでいるという美しい茶園であった。

 茶園近くの小屋で、お茶の試飲もさせてくれた。冷えた体にダージリンティーが染み渡る。やはり、その土地のものはその土地で食したり、飲んだりするのが1番である。

 そもそもダージリンに来た理由というか、この町を知ったきっかけはこのブログにも何度か登場しているバンコクで出会った○山さんに薦められたからである。彼曰く、「ダージリンには是非、世界遺産にもなっているトイ・トレインに乗って行ってください」との事であった。しかし、今思うに何故彼が、ここダージリンから見る事が出来る世界第三峰のカンチェンジュンガの事を口にしなかったのか不思議である。


 - その日、朝5時目が覚めた。と言うよりも誰かの声で起こされた、という方が正しい。 - それはダージリンで泊まっていたドミトリー(共同部屋)で同じ部屋のRさんの声であった。「宿の屋上から山がめっちゃ見えますよ。きれいですよ!あんまきれいだから起こしに来ました!!」と言うではないか。

 何だか状況がよく分からないが、屋上から山が見えているようである。枕元に置いてあった眼鏡、そしてカメラを手にし、寝ぼけ眼で宿の階段を駆け上がる。因みに宿の屋上は5Fである。

 
 そして、最後の階段を上り切り屋上に出た瞬間「あっ!」と息をのんだ。


 緑色の山の上側の部分は、いつもは霧に覆われて何も見えないのであるが、私の目の前には雪に覆われたヒマラヤが姿を現している。 - 手を伸ばせば届きそうな距離にある。

 そのヒマラヤの山々の中に世界で三番目に高い山 - カンチェンジュンガがあった。

 その高さ8,000m以上だという。すごい。すごすぎる。左の方にはチョモランマもあるらしいのだが、そこまでは見えなかった。この時期、ヒマラヤの山々を拝めるのは朝早い時間帯だけのようで、私はこの山の存在を全く知らなかったので、驚いた。 - そりゃー、いきなり世界で三番目に高い山が目の前に現れたら驚くものである。何はともあれ、叩き起こしてくれたRさんに感謝である。

 そして、このヒマラヤの向こうにはチベットがある。この旅で何となしに訪れてみたいな、と漠然と思っていたチベット - そのチベットに行く事ができるかもしれない、そんな事をこの時から意識し始めた - そんなヒマラヤの光景であった。

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